学校に行きづらくなっている君へ

もし今君が学校へ行きづらくなっていたら、このページを読んで見てください。

あなたの悩みを解決するヒント、勇気の湧く言葉が必ずあります。

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今悩んでいる君へ保護者の皆様へ

 

不登校になってしまった僕(私)は、人生に、失敗したの?


○「この世の雑多な世界、ごみごみした所で、いろいろな人と会ったり話をしたりしたくない」という人がいても、おかしくはない。

私は、以前、引きこもりについて取り上げたテレビ番組を観たことがあります。その番組では、「引きこもりは問題だ」と一生懸命に言っていたのですが、なぜ問題なのかが私にはよく分かりませんでした。

そのようなことは、お坊さんはみなやっていたからです。お坊さんは修行と称して引きこもっていたのです。(略)

したがって、いま、「引きこもりは問題だ」と言われていても、私にはピンとこないところがあります。

もしかすると、過去世で山にこもって修行をしていた人が、現代に生まれたら、そのように「引きこもり」になるのかもしれません。「この世の雑多な世界、ごみごみした所で、いろいろな人と会ったり話をしたりしたくない」という人がいても、おかしくはないと思うのです。 (略)

現代は、時代が変わって、忙しくなっているのでしょう。他人とかかわり合いを持たずにいるだけで、それが異常に見えるほど、忙しい世の中になっているのだと思います。


〇学校に不適応を起こす人が出るのは、当たり前のこと

(シュタイナーによる霊言)

私は、基本的に、「すべての人が、一クラス四十人の学級で教育を受けて、大人になっていける」というようなことが実際にありえたらおかしいと思っています。そんなはずはないと思いますよ。

それでは、まるで、野菜工場の野菜のようなもので、計画的に、全部、栽培できるようなかたちですよね。(略)

元気な盛りに、すべての人を同じカリキュラム、同じスタイルで縛りつけるのは、そうとう難しいと思うので、学校に不適応を起こす人が一定の比率で出るということは、当たり前だと私は思いますね。それを、「あってはならない不自然なことだ」と考えるほうが健全でないと思います。

ですから、「同じようなカリキュラム、同じような生活のスタイルには、とてもついていけない」という子が出てくることを前提にして、そうした子たちが生きていける道をつくっておくことが大事です。

集団生活ができずに、不適応を起こすから、そうした人たちが駄目かと言えば、全然、そんなことはないわけです。そういう人たちのなかに、他の人と違う異質な目を持った人、異質な才能を持った人、先見的な目を持った人などがたくさんいらっしゃいます。

もちろん、同学年についていけず、遅れる人もいるとは思いますが、そのなかには、型にはめることができないようなスケールの大きな方もいらっしゃるわけです。

だから、学校教育というのは、まあ、八割ぐらいが満足してくれればいいほうで、やはり、「二割ぐらいはみ出しても、当たり前だ」と思わなければいけません。

その残りの二割に関しては、それぞれの向き不向きに合わせた受け皿を多角的に研究していくことが、教育の使命だと思いますね。それは、フリースクールのようなものでも、あるいは才能教育のようなものでも構わないと思うのです。


〇「魂のエリート」として生きる“逆説”とは。

この世的に順風満帆で何もかもうまくいき、人々にすんなりと認められるエリートが、本当のエリートではありません。

人生の試練、迫害、病気、経済的苦難など、いろいろなものを通り越し、そのなかで真実の信仰をつかみえて、「多くの人々を助け、救おう」と努力し、実践した人が、仏や神から選ばれた人であり、魂のエリートでもあるのです。

そのように、この世の価値観とは違ったエリート観を持っていただきたいと思います。

苦しいと思った時に、どう考えたらいいの?


〇自分も他人も、大きな流れのなかで魂修行をしている。

この地上には六十数億の人が生きています。

さまざまな国、さまざまな環境下において、

ある人は飽食のなかにあり、ある人は食物に飢え、

ある人は知性優れ、ある人は知性劣り、

ある人は体力優れ、ある人は体力劣り、

ある人は白く、ある人は黒く、ある人は黄色く、

ある人は家族に恵まれ、ある人は家族に恵まれず、

六十数億の人が、さまざまな環境の下に生きています。

 

もし、仏の立場で、この世界を見たならば、

どう見えるとお思いでしょうか。

仏は、

「それも是し、これも是し。

それぞれのなかで、幸せになっていきなさい。

あなたにいま与えられた環境のなかで、

幸せを求めていきなさい」

――そう思っているのです。

 

なぜならば、

みなさんの人生は、この一回限りのものではなく、

あの悠久の大河が、

どこからともなく流れきたって、

どこへともなく流れていくように、

みなさんは、遙かなる昔から魂として存在し、

何度も何度も地上に生命を得ているからです。

あるときにはアフリカに生まれ、

あるときにはインドに生まれ、

あるときには中国に生まれ、

またあるときには日本に生まれ、

いろいろな所に魂は生まれ変わってきています。

そうであってこそ、永い永い、永遠に近い人生が、

実り多きものとなっていくわけなのです。

山から小さな谷に流れ落ちた水が、

しばし木の葉の下を行き、やがて小川となり、

あるときには早瀬となり、

あるときには、ゆったりとした流れとなり、

河口近くなると、

海かと思うばかりの広々とした姿の川になるように、

永遠の転生のなかで、みなさんもまた、

いろいろな経験をしていくのです。

その事実を知ったときに、

自分自身に対しても、他の人に対しても、

みなさんは、もっともっと寛容にならなければなりません。

他の人たちが、

それぞれの時間をいま生きているということを、

大きな流れのなかでの魂修行をしているということを

知ったときに、

みなさんは寛容にならざるをえないのです。

そして、自分自身をも優しく包み込むことです。

永い永い、魂の歴史のなかで、いま、こうして、

滝なら滝、早瀬なら早瀬にさしかかっている

自分自身に対して、

「ご苦労さま。

おまえは、いま大変かもしれないが、

これは永い永い旅の途中なのだ。

どうか短気を起こすな。

やがて、また、川は、ゆったりと流れていくであろう。

それまで焦ってはならぬ。

すべてのことに対して寛容であれ」

――こういう気持ちを持つことが大事なのです。

今の苦しい状況は、ずっと続くのかな?


〇「苦しみの時期は、同時に、素晴らしいものが始まっている時期でもある」―そう考えると、逆境は怖くなくなる。

人間の人生と運命には、ある程度の周期があるように思います。

「何年ぐらいで周期とするのか」「何カ月で周期とするのか」というようなことは、定かには述べませんが、確かに、何年かの周期で、調子のよいときと悪いときというものがあるように思います。

そして、逆境といわれる時期にこそ、実は、いちばん素晴らしいものが始まっていると私は思うのです。

考えてみれば、人生の転換期には、環境との不調和、他人との不調和が必ず起きます。そうすると、精神的につらいのは事実です。

では、これがなければ、ほんとうによいのかといえば、そのようなものではないと思います。

「こうした苦しみの時期は、同時に、素晴らしいものが始まっている時期でもある」――そのように考えることができるのです。

そうしてみると、逆境は怖くなくなります。

なぜ怖くないかというと、「運命の逆境期において、魂は、いちばん糧を得ることができる。いちばん教訓を得ることができる」と考えられるからです。

これは、おそらく、竹で言えば節の部分ができている時期に当たると思うのです。

竹は、それまで、二十センチ、三十センチと順調に伸びてきたのに、やがて節をつくらなくてはいけなくなってきます。

このときには、おそらく苦しみがあるのではないかという感じがします。

結局、「運命あるいは運勢に、ある程度の周期があって、調子のよいときと悪いとき、順境・逆境がある」ということは、「それが、人生において、成長し、節をつくっている部分である」ということだと思います。

「逆境のときが節であり、節ができると、そこからまた次なるものが出てくるのだ」という感じが強くします。

したがって、苦しいときには、「いま節をつくっているのだ」という気持ちを持って、次への成長の道を歩んでいただきたいと思うのです。


〇眠れぬ夜は、そう長くは続かない。

苦悩に心が揺れ、人生の不安のまっただなかにあるとき、大部分の人は、眠れぬ夜を持った経験があるでしょう。読者のなかには、現に眠れぬ夜を過ごしている人がいるかもしれません。

いつまでたっても寝つけず、布団のなかでじっと暗闇を見つめ、まんじりともせずに、夜が明けていくのを待つ。明け方になって、うとうとしはじめると、まもなく朝が来る。そして、また仕事が始まっていく。からだの調子は悪く、機嫌も悪くて、不幸感覚が強い。こうしたことがあるでしょう。

それでは、眠れぬ夜にどう対処すればよいのでしょうか。

不眠の原因は、ほとんどが「不安」ですが、眠れぬ夜を過ごしている人に、私は次の事実を指摘しておきたいと思います。

一つは、「眠れぬ夜は、そう長くは続かない」ということです。三年も四年も眠れないという人はいません。それは一時期のことなのです。

もう一つは、「あなたはいま魂が鍛えられている」ということです。そうしたときに、自分をどれだけ磨き込み、鍛え込み、焼きを入れるかが大事です。このようにとらえなければなりません。(略)

「自分は不幸なのだ。この不幸を、なんとかして脱しなければならない」と考え、不幸を抱きしめながら自分を向上させようとしている人と、不幸を気にかけず、日々たんたんと自分を鍛え、高めていける人の違いは大きいのです。

要するに、眠れぬ夜には、自分を磨くことが大切なのです。

眠れないということは、人生において、それだけ活動時間が増えるということでもあります。私は、眠れぬ夜には無理に眠ろうとはせず、徹底的に読書をしていました。
困難のとき、心配、不安のとき、こうしたときに自分を磨いておくことは、決して損にはなりません。(略)

要するに、「自分の使命にふさわしい環境が与えられないのはおかしい」と考えるのではなく、「自分に使命があるのならば、適当なときに適当な環境が与えられ、それなりに花咲くときが来るだろう。その時期は自分には分からないが、それまでは、自分にとって必要だと思うことを中心に、たんたんと自己を磨いていこう。嘆くでもなく、悲しむでもなく、力をつけていこう」と考えることが大事なのです。

困難にさしかかったときに動揺するのは、凡人にすぎません。そうしたときには、うまずたゆまず努力していくことです。

これから、どういう気の持ち方をしたらいいんだろう?


〇考え方は非常に強い力を生む。

釈尊もソクラテスもマルクス・アウレリウスも、
近代では、エマソンなどの哲人や
心理学者のウィリアム・ジェームズも、
異口同音に次のように述べています。

「人間というものは、その人が考えるとおりのものである。
あなたは、毎日、どのようなことを考えているか。
あなたが繰り返し考えていること、思っていることが、
あなた自身なのだ。
服装や外見などは関係がない。
履歴書を見ても、あなたが何者であるかは分からない。
人は、その人の思うとおりの人間になるのだ」

これは、霊界に行けばそのとおりです。
霊界には「考え」しかありません。
霊界の「存在」というのは考えそのものなのです。
霊界においては、人間は、
考えているとおりのものになります。
その考えが、この世においては、
時間を経て実現していくのです。

すなわち、あなたという人間は、
あなたが自己評価し、考えているとおりの人間なのです。

「自分はアサガオだ」と思っている種は、
アサガオの花を咲かせ、
「自分はスイカだ」と思っている種は、
スイカの実を実らせます。
未来が肯定的か否定的か、楽観的か悲観的か、
幸福であるか不幸であるかは、
あなたの「心の種子」によります。
未来を幸福なものにしようと思うならば、
肯定的な種子を心のなかにまき、育てなければいけません。
その種子を育てるには、常に繰り返し考えることです。

悲観的な想念に負けそうになったときには、
それに負けないだけの肯定的な想念を
自家発電しなければいけません。
それは、気力を出すことであり、努力をすることです。
そして、きょうできることをやり、
あしたの希望を考えることです。

マイナスの考え方に支配されそうになったら、
それと戦うプラスの考え方を出していくこと、
発信していくことが大切です。
人間は、心のなかで、
矛盾する二つのことを同時に思うことはできません。
笑いながら、悲しい話をすることも、
悲しい顔をして涙を流しながら、
楽しい話をすることもできません。

したがって、心のなかを占めているものが、
いったい何であるかが非常に大事になります。

肯定的な自己像を持ち、
「自分が、もっと発展し、成功し、
世の中の役に立ち、幸福になっていくことが、
周りの人も幸福にしていく」という映像を、
常に、しっかりと描きつづけることです。

たとえ否定的な想念に負けそうになっても、
勇気を起こして、
また肯定的な想念を発信しなければいけません。
それが、この世においてできたならば、
あの世においてもできるのです。

それは人生における勝利そのものだと言えます。

「考え方は非常に強い力を生むのだ」ということを
学んでいただければ幸いです。


〇「不動心」を持てる人持てない人

自分に自信があると言いつつも、ちょっとしたミスを責められるなど、何かのきっかけによって、がらがらと自信が崩れていく人は数多くいます。こうした人たちにとって大事なのは、本物の不動心をつかみ取ることです。

本物の不動心をつかみ取るために、どうしても必要なのは、「仏の子の自覚」です。これがないと、不動心といっても根の浅いものになってしまいます。

結局、心が揺るがないのは、「心の根の部分が仏につながっている」という自覚があるからです。これがなければ、人生は波間に漂う木の葉のように、不安げに揺れるだけなのです。

この部分が不安定になって、「自分は運命に翻弄されている。自分は運命の川に浮かぶ木の葉のようなものだ」と思ってしまえば、どうしようもありません。こうした思いは、「他人や環境が自分を害する」「自分には悲劇的な将来が待っている」といった悲観的な考え方になっていきます。

こうした暗示にかかって不幸な人生を選び取っていくか、それとも、力強く積極的な人生を選び取っていくかは、「自分をどのように思うか」ということにかかっているのです。


〇「勇気を持って殻を破ろう」

人間は、少し頭が良くなると、
優柔不断になったり、
細かいことを気にしすぎたり、
自己規制をしたりしては、
“できない理由”を実に整然と説明するようになる。

しかし、
こんな能力を鍛えても、
世の中の役には立たない。
新しいことを行い、
それを発展させようと思ったら、
できない理由ではなく、
「どうやったら、できるか」ということを、
いつも考えることだ。

勇気を持って殻を破ろう。
そして、行動しよう。
できない理由を語るのではなく、
「どうやったら、できるんだ」と、
いつも自分自身に問う、あなたであれ。

保護者の皆様へ

子供が不登校や、引きこもりになってしまった…どう考えればいいのかしら?


〇親子で直す、非行と登校拒否。

問:小学四年生の娘が家庭内暴力や登校拒否を繰り返しています。何か対策はないでしょうか。

親が自分の人生を立て直す

子供の家庭内暴力や長期の登校拒否が起きるときには、家庭のなかに悪霊が入ってきていると考えて、まず間違いありません。

しかも、小さな子供がそうなる場合は、必ず親にも原因があります。親は、「この子を何とか直したい」と一生懸命に思っていても、たいていは、子供に影響しているものと同種類のものが親にも影響していて、霊的な格闘のような状態になっているはずです。

したがって、子供が小さい場合には、まず親のほうが「自分の人生を立て直そう」と心掛けないかぎり、問題を解決するのは無理だと思います。
(略)
対策としては、光を強くすることに専念する以外にありません。親の光が強くなってくると、子供への霊的な悪影響は弱まり、子供はどんどん直っていきます。

そのためには、親が仏法真理を勉強するのが最も効果的です。そして、「家族全員が力を合わせて、何とかやっていこう」とすることです。

特に大事なのは、当会が掲げている「正しき心の探究」です。心のあり方が間違っているのですから、家族全員で正しき心の探究を実践していくことが必要なのです。


〇心が傷ついていて引きこもるタイプについては、「絶対善意の人」が出てくれば心を開く。

問:子供だけではなく大人にも「引きこもり」が増えています。そういう大人を、どうすれば社会に復帰させることができるのでしょうか。また、引きこもりを事前に防ぐには、どうすればよいのでしょうか。

・組織立った動きの苦手な人が一割以上はいる
いま、どのくらいの率で「引きこもり」があるかは知りませんが、いつの時代も、最低でも一割以上は、組織に合わない人がいると思うのです。

・個人には自分の人生に関する“自治権”がある
子供が家に引きこもって学校に行かないのは困るでしょうが、大人の引きこもりの場合は、他の人が介入し難いものがあります。個人には、「自分の人生をどう組み立てるか」ということに関する“自治権”があるからです。
基本的には、「だれもが同じでなくてはいけない」という考え方は間違いだと私は思います。それぞれの人に、自分の好きな生き方をする権利があるのです。

・病的に引きこもる人は何かで心が傷ついている
非常に病的な人であって、「絵画などの芸術に打ち込む」「何かを熱心に執筆している」「瞑想などの宗教修行に打ち込む」というようなことではなく、ただただ、「人と会うのが嫌。外へ出るのが嫌」という思いで、どこかに閉じこもっている人もいます。こういう人は、身内や友人が買って差し入れてくれる弁当などを食べて生活しています。
そのなかには、明らかに悪霊に憑依されている人もいます。
こういう人を社会に復帰させるには、どのようにすべきでしょうか。
こういう人は、基本的に、成長して大人になるまでのあいだに、何かで心が傷ついていて、その傷口がふさがっていないのです。そして、その傷口から膿が出てくるような状態なのです。
(略)
このたぐいの人を癒すには絶対的な愛が必要です。
それは、その人に対して、「絶対に悪く言わない。ネガティブ(否定的)なことを決して言わない。絶対に攻撃しない」ということです。そういう人には心を開きます。
しかし、「相手の行動によって、ほめたり怒ったりする。どちらになるか分からない」という人には、身構えてしまい、心を閉ざすのです。

すなわち、心が傷ついていて引きこもるタイプについては、「絶対善意の人が出てくれば心を開くだろう」ということが言えます。

このタイプに対しては、「相手の性格なり言動なりが、現象的には、どれほど悪く見えても、『これは自分自身が既成観念でかなりやられているのだ』と思い、相手のなかから、神の子、仏の子の部分を拝み出して、相手を絶対に責めない、悪く言わない、将来を悲観しない」ということが大切です。

「この世に生まれてきただけでも、いいではないか。命があるだけでも、いいではないか。何か意味があって、こうなっているのだろう」と思い、相手を排斥しないで受け入れる人が出てくると、その人に対しては心を開くようになるのです。


〇「家庭内暴力に悩む人へ」

・価値観の押しつけは子供の反乱を招く
子供が反乱を起こす場合、たいていは、親が子供に対して、「おまえはこうしなければならない」「勉強しなければならない」「この仕事に就かねばならない」というように、特定の価値観を押しつけています。それが家庭内暴力の原因になることが多いのです。

・親は子供を信頼し、後ろ姿で導く
家庭内暴力を治める方法の一つは、「子供のやり方に干渉しない」ということです。
親が自分のことを棚に上げて子供に説教をし、お仕着せを着せようとすると、子供は反乱します。したがって、まず親のほうが襟を正し、「自分は人間として立派な生き方をしているかどうか」と考えてみることです。
そして、言葉や体罰で子供を導こうとするのではなく、自分の背中、後ろ姿でもって子供を教育するという方針を貫くのがよいのです。(略)
大事なのは両親が常に子供を信頼することです。そうすれば、子供のほうは、どこかで自制心が働き、きちんとルールを守るようになります。「おまえはいい子だ」といつも言われていると、その言葉の快い響きに自尊心をくすぐられ、ルールを守るようになることが多いのです。

子供を信じ、愛するためには


〇親子で直す、非行と登校拒否。

私は、学歴そのものを否定はしませんが、「学歴がすべてではない」という考え方も持っています。

「努力した者は認められるべきだ」と思いますが、人間には、学問的なもの以外の才能もあります。また、いまの世の中においては、人の心をつかまえられる人が世の中を動かしているので、そういう特性がその子にあるのならば、それにも期待してあげてください。

そして、最後には、「自分でやっていく力」を身につけさせることが大事です。

子育てに関して、わが家の基本方針は、少なくとも私に関するかぎり、「自由放任」に近かったので、言う資格はあまりないのかもしれませんが、「その人の個性を伸ばしていく」ということは、最終的には、「その人の持っている力や仏性、神性を信じる」ということにつながっていくと思います。

したがって、途中まではお手伝いをするとしても、どこかで手を放していかなければならないのです。

そういうことを知っていただければ幸いです。


〇人を愛するということは、相手の中に仏性を見出すことである。

人を愛するということは、相手の中に仏性を見出すことである。

ところが不思議なもので、こちらの心のあり方しだいで、相手は、悪魔にも菩薩にも見えるのである。

「お母さんなんて大嫌いだ。」といわれれば、わが子も小悪魔に見え、

「お母さん、いつも有難う。」といわれると、わが子が小さな菩薩に見えるだろう。

夫婦も同じだ。相手が悪魔に見える時も、菩薩に見える時もあるだろう。

原因はどちらにもあるだろう。

ただ、気がついた者の方から、まず自分を変えることだ。

愛を出し惜しみするな。

自分の仏性を発見することが、「悟り」であるなら、相手の仏性を拝み出すことが、「愛」なのである。


〇スタートラインは違うかもしれませんが、結局、「そこから、どの程度まで伸びたか」という、その伸び率、がんばった量について、人生の点数が出るのです。

はっきり言って、世の中は競争の激しい世界であり、勝者・敗者だけで言えば、敗者のほうが多いのです。

しかし、「自分に敗者のレッテルを貼り、それで終わりにしてしまったら、一生は苦しみでしかないし、不幸でしかないのだ」ということを思わなければいけません。

生まれつきというものを考えるのであれば、スタートラインは違うかもしれませんが、結局、「そこから、どの程度まで伸びたか」という、その伸び率、がんばった量について、人生の点数が出るのです。それ以前の部分は、前回までの人生においては関係があるでしょうが、今回の人生においては関係がない部分です。今回の人生においては、そこからがんばった分が評価されるのです。

一つには、そういう思い方をしていただきたいのです。

その他、ADHD、アスペルガー症候群、LDなどに関する考え方…


〇ADHDなどに関する考え方。

Q3 ADHDなどに関する考え方 大川総裁は、「ADHD(注意欠陥・多動性障害)に見えるような言動は個性の一つである」というように説かれていますが、似たような症例として、自閉症の一種であるアスペルガー症候群(高機能障害)やLD(学習障害)なども出てきています。これに該当する子どもが昔より増えているのであれば、その時代的な意味と、そういう子どもの使命について教えてください。

・人間には多様な個性がある
ADHDなどは、子どもたちを管理する側が、管理が楽になるように言っているだけです。管理するのが楽ではない子を、「問題がある」と言っているのです。医者は、いろいろと分類していますが、人間には多様な個性があるのですから、そういうものをあまり気にしないほうがよいのです。
「仏の子だ」と思って見てあげてください。人間の魂には、それぞれ、いろいろな傾向があるため、変わったことをする子も数多くいるのです。(略)

ADHDなどについて、一般的には、「魂の個性や多様性の問題だ」と考え、「現代の管理社会に合った子どもばかりがいるわけではないのだ」ということを信じたほうがよいでしょう。そして、「だれもが仏の子なのだ」と考えてください。(略)

なお、アスペルガー症候群は、アインシュタインなども、そう分類されているので、ある方面への天才性が、他の機能を封じ込めている場合もあります。また、完全主義的で正義感が強すぎる人もあって、人間関係のトラブルが絶えません。「光の天使の可能性もある」と思ってください。

LDは、不得意科目の言いわけによく使われます。「好きこそものの上手なれ」です。コツコツと努力しましょう。


〇「アスペルガー症候群」の子には光の天使の性格を備えている子もいる

いまの医者が「自閉症児」と言っているような子のなかには、将来、世の中を変えていくような発明や発見をしたりする人も数多くいるでしょうし、「多動性障害」と言われている子のなかには、やがて探検家になったりする人もいるでしょう。

医者は、子供の成長後に責任を持てないから、そう言っているだけなのです。

その変な子たちのなかに、世の中を変えていく力を持っている人がたくさんいるのです。単に他の人と比べて変わっているだけなのに、それを悪いことのように言う価値観は改めるべきです。(略)

天才児で、変わっている人は、世の中に大勢います。

医者の定義に当てはめると、アインシュタインも自閉症児で、アスペルガー症候群になります。あんな大天才を、アスペルガー症候群に分類して、どうするのでしょうか。

したがって、医者の言葉は、ほどほどに聞かないと駄目です。「高機能障害」という言葉を真剣に聞いてはいけません。

アスペルガー症候群の特徴のなかには、光の天使の性格とおぼしきものも、はっきりと出てきています。それは、非常に潔癖で、正義感が強く、悪と戦ったりする性格です。

医者の定義に従えば、完全主義者的に悪と戦うような人や、過去世で宗教改革をやったような人などは、みなアスペルガーになってしまいます。医者の言うとおりにすると、そのような人たちは葬られてしまうので、大変なことになります。

天使というものは、潔癖な気持ちを持っていて、大きな悪と戦ったりするので、医者には、普通ではないように見えるのです。

そのため、気をつけないと、みな病気にされてしまいます。

世の中には、いろいろな人がいるのです。

人間は「信仰心の力」で変わってくるものなのですから、どうか、その子の魂に力を与えてあげてください。

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